千住大橋の風景
Senju-Ohashi Bridge / 千住大橋の風景 #Tokyo#Japan
【撮影場所】東京都足立区
【撮影日時】2020年2月某日午後
記念すべき第1回目の動画は東京都足立区。
荒川と隅田川に挟まれた所謂「千住地区」の某所からスタートします。
開始当初は住宅と工場が軒を連ねる典型的な東京の下町の路地を進んでいきます。
道中、鉄道線路が2つ目に入ったと思います。
その1つは東武スカイツリーライン。
写真の牛田駅は東武スカイツリーラインの駅の一つです。
東京随一のターミナル・北千住駅の一つ隣にある牛田駅は、ご覧の改札が一つしかない小ぢんまりとした駅ですが、利用者は割かし多いです。
その理由は、反対側へ振り返ってみると…、
ご覧のとおりもう一つ駅があるからです。
こちらは京成本線が通る京成関屋駅。
こちらの駅から上り電車に乗れば日暮里や上野、下り電車に乗れば遥か遠く成田国際空港まで行くことができます。
見てのとおり、牛田駅と京成関屋駅は至近距離にあるため、乗換のために乗り降りされる人が非常に多いです。
ただし、これもまた見てのとおり2つの駅舎はそれぞれ分離独立しているため、乗換客がわざわざ間の道路を横断する光景がよく見られます。
牛田駅と京成関屋駅のすぐ南には都道461号線(墨堤通り)が東西に走っています。
さすが東京都道だけあって広々としており、見晴らしも良い道路です。
右手に東武スカイツリーラインの線路を見ながら西へ向かって歩いて行きます。
途中、道路を横断して道の南側へ出ました。
こちらの左手には京成本線の高架線路が沿うように通っています。
京成本線もまた墨堤通りを途中横断しているのです。
このままひたすら西へ向かうと国道4号線(日光街道)にぶつかるのですが、その少し手前を左折して旧日光街道を進んでみます。
かつてこの通りは「やっちゃ場通り」と呼ばれ大変賑やかな場所だったそうですが、今は動画のとおり人気の少ないありふれた路地の一つとなっています。
3分程歩くと国道4号の合流地点に出ました。
左手には足立市場という鮮魚等の卸売市場が見えます。
この三叉路の片隅には松尾芭蕉の石碑が建つ小さなテラスがあります。
松尾芭蕉と言えば俳諧の大家として著名ですが、彼が著した大紀行文『奥の細道』はこの千住の地から始まったということで、このようなモニュメントが整備されているということです。
三叉路から国道4号に合流してしばらく南下し、途中階段を上ると、ようやく今回の動画のタイトルにもなった「千住大橋」に辿り着きました。
橋の下には江戸と東京のシンボル・隅田川が流れています。
千住大橋が架橋されたのは遡ること400年以上前の1594年。徳川家康が江戸に入府して間もない頃のことで、隅田川に架けられた最初の橋という非常に歴史の深い橋です。
千住大橋はその後何度か再架橋が行われていますが、現在の鉄橋が出来たのは関東大震災後の1927年と、これもまた100年近い歴史を誇っています。
千住大橋を北岸から南岸へ渡る間に住所は足立区から荒川区へ移ります。
橋の中央上部に掲げられた扁額には「橋大」と、右から左に読ませるところにまた歴史の重みを感じさせられます。
なお、千住大橋から北へ約2kmのところに「千住新橋」という荒川に架かる橋があるのですが、サイズ的には"大"橋より"新"橋の方が遥かに大きい、という地元ネタを添えて1本目の動画の解説記事を締めたいと思います。